1950年
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 日本のプロ野球がセ、パ両リーグに分立した1950年、ジャイアンツは前年から使用していた2種類のユニフォームの他に、さらに2種類のユニフォームを新調した。
 つまり1シーズンで4種類のユニフォームを使っていたワケだ。
 この時代はユニフォームにホーム用、ビジター用という概念もなく、各球団は複数のユニフォームを試合で使い分けていた。
 開幕前、明石キャンプで写真撮影用に選手たちが着ていた新ユニフォームは胸ロゴの字体が大きく太く、ラインも太いのが特徴だった。ラインの色は濃紺で、胸マークと背番号は黒という球団創設以来の伝統のカラーリングが採用されていた。
 そして帽子も伝統の紺と、それから白で庇が紺の二種類があった。
 一方、アンダーシャツはいろいろな種類が使われていたようだ。色としては、紺、白、えび茶、グレーなどがあり、当時は同じ試合に選手それぞれが勝手に違う色を着用するのも普通だったようである。
太い文字と太いラインのユニフォームを着た。左から川上哲治、藤本英雄、千葉茂の各選手。写真提供ベースボールマガジン社
ホントに当時の試合の写真を見ると、みんなバラバラの色を着ているんですよね。
 それからストッキングにもいろいろな種類があった。もちろんストッキングに関しては、アンダーシャツとは違って、試合中、選手たちは同一デザインをはいていたんですが、紺と赤と白の縞、紺と黄色と白の縞、紺とオレンジの縞、紺と白の縞など、ボクの確認しただけでも四種類はありました。
 さらにこの年、ジャイアンツは夏場に入る6月あたりから、もうひとつ新たなユニフォームを採用している。
 胸のロゴマーク、背番号、ラインは赤。帽子は紺の庇に白。なんとも派手なユニフォームだった。
 そしてこのときから、まったく新しい帽子マークも誕生している。
 Gという文字に音符のオタマジャクシのようなモノが絡んだデザインで、一説にはドイツの飾り文字からとったと言われているのだが、それにしても、なんでよりによってドイツなんだろう。野球とドイツって、あまり関係ないと思うんだけど……。。
 この点についてはいろいろ調べてみたのだが、なにゆえドイツ文字が登場してきたのか、その理由はまったく不明だった。なんとも不思議なマークである。
 このマークは白い帽子に赤い糸で鮮やかに刺繍されていたようだ。そして翌51年には紺色の帽子にも使われている。こちらの紺色のほうは金糸で刺繍が施されていて、現在、野球体育博物館にも保存されている。
ちょっと目張りの入った打撃の神様、川上哲治選手。写真提供ベースボールマガジン社
 今となってはジャイアンツ・ファンでも、ほとんど知っている人もいないマークだと思いますが、帽子マークとしては52年までの3年間にわたって使われ、そのあともウィンドブレーカーのエンブレムとして50年代の中頃まで生き残っていた。
 それからこのユニフォームで、もうひとつ特徴的なのは、ラグランスリーブだろう。それまで日本のプロ野球で使われていたユニフォームのほとんどはセットイン・スタイルが主流だった。このユニフォームの登場以降、日本のプロ野球界にラグランスリーブが増えていったという。
 今やラグランスリーブは野球ユニフォームの定番スタイルだが、当時ジャイアンツの三番打者だった千葉茂さんによると、このユニフォームを制作したのは選手たちが行きつけにしていた銀座テーラーだったそうだ。この店はジャイアンツの選手だけでなく、大阪タイガースの藤村富美男選手あたりも常連だったという。最初は選手たちがスーツなどを作っていたのだが、そのうちユニフォームも作ってみましょうかという話になったらしい。
 そして担当の大場士朗さんの、「袖の動きが楽になる」という発案で、はじめて日本球界にラグランスリーブが登場することになったようだ。
 しかしスポーツ用品店ではなくて、紳士服のテーラーで作られたというところも、なんだか興味深いじゃないですか。