1960年から61年
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60年のシーズン中は左袖には「丸は」マークが装着されていた。三原脩監督。 日本シリーズから登場したチャンピオン・マークつきのホーム用。近藤昭仁選手。
 ホエールズ時代に唯一、日本一に輝いたのが三原脩監督に率いられた60年だったというコトは、あの横浜ベイスターズ優勝の98年にすっかり有名になったが、このときホエールズがセ・リーグ制覇を決めたのは10月の2日だった。そしてそのわずか9日後の11日に、日本シリーズの第1戦が当時の本拠地の川崎球場で行なわれている。
 このときグランドに現れたホエールズ・ナインのユニフォームの袖には、それまでシーズン中についていた親会社大洋漁業の「丸は」マークではなく、ワッペン型の袖章がついていた。
 これは三原脩監督の提案で装着されたチャンピオンマークだった。赤、白、紺のトリコロールカラーのワッペンには、金糸で「CHAMPS」、その下に黒で「1960」という文字が刺繍されていた。
 ちなみにこの袖章がついていたのはホーム用ユニフォームのみで、ビジター用には従来の「丸は」マークがつけられていた。
当時としてはなかなか洒落たマークでした。
 横浜ベイスターズが優勝したときにも、チャンピオンマークが話題になったが、実は38年前にもチャンピオンマークが存在していたのである。
 日本シリーズの相手は強力ミサイル打線を誇る大毎オリオンズ。
 事前の予想では圧倒的にオリオンズ有利。
 巨大な敵を前にチームの士気を鼓舞するために、三原監督はあらゆる手を使ったが、このマークもそのひとつであった。セ・リーグのチェンピオン・チームとして胸を張って戦えというワケである。
 結果、ホエールズは事前の予想をモノの見事に覆して、4勝0敗の奇跡的ストレートで日本一に輝いた。 
 そもそも袖章のチャンピオン・マークを日本球界で最初につけたのは49年の南海ホークスだった。48年に戦後2度目の優勝を飾り、その快挙を祝ってユニフォームの袖にペナント型のチャンピオン・マークが装着された。そして翌年の50年にはプロ野球がセ・パ2リーグに分立。この年、パ・リーグで優勝したのは毎日オリオンズ、セ・リーグは松竹ロビンスだったが、この2チームともホークスに習って、袖にチャンピオン・マークを装着している。しかしこのあと、51年以降の優勝チームがチャンピオン・マークを装着するコトはなかった。
 大洋ホエールズのチャンピオン・マークは、日本プロ野球界としては久々の登場だったのだ。
ビジター用はそのまま「丸は」を継続。左から金光秀憲、桑田武、近藤和彦の各選手。

 そしてこのチャンピオンとしての誇りの込められたワッペンは、翌61年のシーズンも、ホーム用ユニフォームの左肩に継続してつけられていた。
 ところがこの年、開幕から4連勝と好スタートを切ったものの、6月18日には対国鉄スワローズ戦に破れて6連敗。前年のチャンピオン・チームは最下位に沈んでしまう。
 そしてそんなタイミングで登場したのが、新デザインの夏用ユニフォームだった。
 胸マークのwhalesのロゴや背番号は、春用ユニフォームがオレンジ色を黒枠がくくる形だったのを逆転。夏用は黒をオレンジ色がくくる形になった。
 ゲン直しの意味も込められた夏用ユニフォームが登場したのは6月21日の広島カープ戦からで、このユニフォームにもそのままチャンピオン・マークが継続してつけられていた。
 しかし結局、新ユニフォームもゲン直しにはつながらず、この年の成績は50勝75敗5引き分けで、チームは最下位に沈んでしまった。
 奇跡の日本一から最下位。まさに天国と地獄を見たチャンピオン・マークであった。