ROBINS(ロビンス)
【太陽1947年、大陽48年〜49年、松竹50年〜52年、洋松53年〜54年】
 

 1935年の12月に東京の国民新聞社(現東京新聞)を親会社に結成され(正式な球団発足は36年2月15日)、日本職業野球連盟創設に参加した大東京軍(のちにライオン、朝日軍、太平パシィックと球団名が変遷)がそのルーツ。
 こちらも47年の日本野球連盟の方針でニックネームを採用しロビンスとなった。
 当時のオーナーは大阪船場の繊維問屋田村駒の田村駒治郎。で、ニックネームはオーナーの名前である駒治郎からロビンス(駒鳥)と命名された。
 オーナーの名前がそのままニックネーム。今じゃ信じられない話だけど、当時の日本のプロ野球球団というのは、オーナーや親会社の私的所有物みたいな感覚だったために、何の疑問もなくこんな理由でニックネームも簡単に決められていたのである。
 ちなみにこの球団は47年から田村駒次郎の経営していた太陽レーヨンから太陽ロビンスと名のっていたが、翌48年には太陽の太の文字から点を取って、大陽ロビンスと改名する。理由は駒治郎オーナーの「野球は点を取らないと勝てない」「野球選手は太いのはアカン」の駄ジャレのような一言で決定したという。
 で、実は以前、田村駒治郎がチームをロビンスと命名した47年の、3月15日号の『日本スポーツ』という雑誌を読んでいたら、こんな話が出ていた。
 どうやら田村さんはロビンスとは別に、太陽レーヨンからとったサンズというニックネームも考えていたようなのだ。そしてなんと、このふたつを併用しようとしていたという。
 つまりロビンスをホーム用、サンズをビジター用でユニフォームのように使い分けるつもりだったらしい。
 大正年間の青年時代に渡米し、大リーグ観戦の経験もあった駒治郎オーナーだったが、ベースボールを自分流に解釈して、世間の失笑をかうコトも多かった。このニックネーム二案も、彼の人柄をしのばせる逸話である。
 その後、チーム名は50年の2リーグ分立時には松竹映画が資本参加して松竹ロビンスとなり、53年には大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなった。
 しかし55年、松竹映画が球団経営から手を引いたため、球団名称は大洋ホエールズを名のるコトになり、ロビンスというニックネームは日本球界から姿を消した。
Robins (Taiyo 1947, Taiyo 1948-1949, Shochiku 1950-52, Yosho 1953-54)
The team was established in December, 1935, parented by Kokumin Shinbun Sha (Tokyo Shinbun in present). The official kick off was on February 15, 1836. The origin of Robins is Dai Tokyo Gun (which later became Lion, Asahi gun, and Taihei Pacific), which joined the Japan Professional Baseball Association. They got the nickname Robins followed by the association’s policy. The owner’s name was Mr. Komajiro Tamura and he had a fabric wholesale store, TamuraKoma, in Senba, Osaka. The nickname came from his name, “Koma” which means Robins. It is unbelievable now that owner’s name became the team’s nickname, but it was acceptable at that time. Their name was Taiyo Robins in 1947 because he owned the company named Taiyo Rayon, but the owner decided to use a different Chinese character that has the same sound.
I found an interview article in “Japan Sports” from March 15, 1947. It said that the owner had thought about the name “Suns” from his company name and tried to use both Robins and Suns together. He tried to use Robins for Home games and Suns for away games, since they changed their uniforms. He had been to the United States and watched a Baseball game in the U.S. but he was often laughed at since he tended to understand baseball in his own way. This nickname incident could be evidence for that.
Later on in 1950, the team became the Shochiku Robins as Shochiku Movies became their sponsor. In 1955, Shochiku discontinued their sponsorship, so the team became Taiyo Whales and the nickname Robins disappeared.