まだプロ野球がJリーグくらいの歴史しかなかった頃。

プロ野球十二年史
廣瀬謙三著
1948年 日本体育週報社刊



 日本のプロ野球も創立から70年を過ぎてしばらくたつ。読売ジャイアンツの前身である大日本東京野球が創設されたのが1934年。もちろんその前の大正年間から昭和初期にかけて、芝浦協会などのプロ野球チームがあったコトはあったのだが、現在の野球機構につながるプロ野球チームの創設はこのときからだ。
「プロ野球十二年史」というこの本の発行は48年。当時、ベースボール・マガジンとライバル関係にあった「ベースボールニュース」の版元である大阪の日本体育週報社が発行している。
 まだプロ野球の歴史が現在の5分の1以下、ま、言ってみれば、まだサッカーJリーグくらいの歴史しかなかった頃の創立記念本である。
 48年というと戦後すぐの時代で、川上哲治、大下弘の赤バット、青バット(実際は緑バット)の全盛期。戦前、苦難の道を歩んできた職業野球が、戦後のアメリカナイズされた世相も手伝って急激に人気を高めていた時代だ。
 著者は前書きでこんな話を書いている。
「職業野球は昨今に至って世間の耳目を集めるようになった。職業野球が、健全なる営利理論に立脚して組織され、営利事業として成功する道は今後に残されている。母系会社の宣伝機関に供されて満足している現状から早く抜け出なければ、アメリカとの対等の試合などは覚束ない……」
 この手の話は昔から繰り返し繰り返し語られて、現在までそのままできてしまっている。今だに現状は変わらず。これはこの先100年たったっても200年たっても変わらないのだろうかと絶望的な気分になる。
 第一章は「日本職業野球の発足」で、大日本東京野球倶楽部創設のいきさつが語られて行く。
 その中で倶楽部創設一年目に行われた第一次アメリカ遠征について、飛田穂州が朝日新聞誌上に書いたとされる一文が紹介されていて興味深かった。
「昨年某職業野球団が渡米した際サンフランシスコで、その乗船に出迎えたオドールの注文は頗る面白く、さすが商売人明ありと感服させられる。船中の選手をつかまえて、オドールは諸君がアメリカに来て野球を見せようとしたら必ず失敗する。アメリカ人は諸君から野球の技術を見せてもらおうとはしていない。まづ諸君は第一位に見世物の積もりで野球場に立つことが最も必要である。と喝破した。日本の野球商売人の技術を熟知せるオドールはかくいうご宣託をしてからさらに言葉をつづけた。日本野球場には珍しい習慣がかなり多い。打者が打席に入る前、審判員に礼儀正しく挨拶するなどはアメリカのように審判と選手との間が仇同士にあるがごとく習慣付けられたところでは頗る珍とするに足りる。必ずアメリカ人の好奇心をあおるに相違ない……」
 この他にベンチ前の円陣、ユニフォームの背番号に漢字を使用することなどを提案したと書かれている。
「プロ野球ユニフォーム物語」で紹介した大日本東京野球倶楽部の漢字背番号のユニフォームは、ジャイアンツという球団ニックネームの命名者でもある、このオドールが提案したものだった。
 当時は日本の選手がアメリカに渡っても、技術ではなくもの珍しい見世物としての価値しかなかった。
 しかし現在は、技術を携え選手たちは海を渡っていく。この部分に関しては、やはり70年の年月が培ってきたモノは大きかったと言ってもよいのだろう。

綱島理友の古本野球史 第2回

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