45歳でデビュー戦初勝利を飾った投手。
球界彦左もの申す
プロ野球毒舌録
浜崎真二著
1966年 現代ブック社刊



「ホンマかいな」
 その話をはじめて知ったときそう思った。
 日本プロ野球で先発投手としてマウンドに上がった最高齢記録は48歳。
 確か20代の後半頃に本で読んだ記憶があるのだが、その記述を読みながら頭に浮かんだのは「老体にムチ打って」というフレーズだった。
 投手の名前は浜崎真二。
 この話の真相を知ったのは、それからしばらくたってからだ。
 セ・パ2リーグ分立の1950年、シーズンの順位も決定し、消化試合となった11月5日。阪急ブレーブスと毎日オリオンズの試合で、先発投手としてマウンドに上がったのは、ブレーブスが48歳の浜崎真二、オリオンズが47歳の湯浅禎夫の両投手だった。
 実は共に両軍の監督で、お互い5回まで投げ合うという約束で登板。ま、言ってみれば、消化試合を盛り上げる花相撲のようなイベントだったのだ。
 試合のほうは浜崎投手がオリオンズ打線につかまってしまい、4回で降板。9対2でオリオンズが勝っている。浜崎投手が4回で降板してしまったため、湯浅投手も4回で降板。浜崎投手に負け投手の記録はついたが、47歳の湯浅投手に勝ち投手の記録はつかなかった。
「なーんだ」というオチだったのだが、実はさらによく調べてみると、この話、「なーんだ」じゃなかったのである。
 そもそも浜崎真二とはどういう人だったのか。
 身長は160センチにも足らないが、学生時代からその球歴は輝かしいものだった。広島商業3年のときに神戸商業に転校し、慶応大学に入学。27年秋のリーグ戦の早慶戦で完封し、次の試合にもリリーフで登板。2試合連続登板で早稲田大学を破る立役者となった。大学卒業後は満州に渡り、大連満州倶楽部のエースとして活躍。34年のベーブ・ルースもやって来た全米大リーグ選抜チームとの試合でも全日本チームの一員として参加。そして39歳となった41年には、都市対抗の準決勝、決勝で完封勝ちをおさめるという快挙を成し遂げている。
 そんな浜崎さんがプロ入りするのは、47年の45歳のとき。総監督として阪急ベアーズ(この年、すぐにブレーブスと改名)に入団。この時、いったいどういう契約が交わされたのかよく分からないのだが、9月28日の対南海ホークス戦に、浜崎総監督は自ら登板。当時、球界のエースでもあった豪腕別所昭投手と投げ合い、野口二郎投手の救援を仰いだものの、6対2で快勝している。45歳のデビュー戦初勝利だった。
 そしてその後もマウンドに上がり、48歳までに30試合に登板して5勝5敗の成績を残していたのである。
 そんな浜崎さんが66年に書いたのがこの本「球界彦左もの申す━プロ野球毒舌録━」だ。ブレーブス退団後は高橋ユニオンズ、国鉄スワローズの監督を歴任。指導者としての苦言をつづった一冊だが、後半の自らの球歴について書いている部分が楽しい。慶応大学時代のアメリカ遠征で対戦したイリノイ大学との試合で、チアリーダーの色気で、チームがヨタヨタになったなんて話は、なんとなく人柄が浮かんできたりする。
 海の向こうのメジャーリーグでは、フロリダ・マーリンズが創設されたときに、48歳のチャーリー・ハフ投手が開幕投手をつとめて話題になったりしたが、日本にもこういう投手がいたのである。45歳の工藤公康投手もまだまだやれそうだ。

綱島理友の古本野球史 第11回

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