15個の柿がプロ野球の歴史を変えた。
やったるで!
金田正一著
1965年 報知新聞社刊



 1965年の流行語である。当時、流行語大賞があったら間違いなく大賞をとったであろう流行語であった。
 50年の2リーグ分立の年に国鉄スワローズに入団、長年エースとして君臨した金田正一投手が、現在のFAのようなB級10年選手の特権を行使して読売ジャイアンツに移籍したのがこの年だった。私はまだ小学生だったが、大きな話題だったと記憶している。
 そんな中で自らの半生をつづったのが「やったるで!」というタイトルのこの本である。「やったるで!」はもともと彼の口ぐせで、この本は当時のベストセラーとなり、タイトルがそのまま流行語となったのである。
 しかしベストセラーになるだけあって面白い本である。特に亨栄商業時代の話は楽しい。
 1933年に愛知県で生まれた金田少年は、終戦後すぐの時代、家が貧しく中学に通うことが出来なかった。それがあるケンカがきっかけで亨栄商業にもぐりこむ。互角に渡り合ったケンカ相手が、金田少年に惚れ込み、彼から自分の通っている商業高校の野球部に入れとすすめられたのだ。
 ところがこのときの金田少年の年齢は、普通ならば中学三年。
 だが、時代は戦後の混乱期、金田少年は当時在籍していたラジオの専門学校から横滑りする形で入学を果してしまう。本来は中学三年なのに、ドサクサまぎれの飛び級で高校生になってしまったのである。
 以前、金田さんの経歴を調べていたときに、国鉄スワローズに入団したときが、高校二年中退というのと、高校三年中退というふたつの説があって、いったいどちらが正しいのか迷ったコトがあったのだが、理由はこれだったのだ。
 実際の学年は高校三年だが、年齢で言えば高校二年。事情を知らない私は生年月日から考えてスワローズ入団の50年は高校二年だろうと思っていたのだが、それは誤りだったと判明した。
 亨栄商業では高校球児らしく金田少年も甲子園を目指していた。まず一年のときは、夏の大会で先輩たちが予選を突破して甲子園に駒を進めたが、一年生の補欠だった金田投手に出番はなかった。
 続いて二年生のときの夏の大会は、自分自身の失敗で大会をふいにする。
「いや実はワシはね、口が卑しいものだから、なんでもよく食べたのよ。で、柿を15個いっぺんに食べてハラを下して、高校二年のときの全国大会をふいにしてしまったんだ。やせ細るくらい辛い下痢でね。そういうところから、体についてはいろいろな部分に気を配るようになったのよ」
 これはご本人から直接私が聞いた話だが、やはりこの本にも同じ話が書いてある。
 しかしこれがスワローズの金田を生むきっかけでもあった。
 亨栄商業野球部が練習で使用していた名古屋の国鉄グランドの管理人の紹介で、当時のスワローズ西垣監督に話が行き、三年生進級前の3月に入団を勧誘される。
 もし、あのときに柿15個を食べなければ、予選を突破して剛速球は他球団のスカウトの目にも留まり、プロ野球史は別の形になっていた可能性もあるのだ。場合によっては、400勝の達成も、長嶋選手のデビュー4打席4三振もなかったかもしれない。
 そして三年生の夏は愛知県予選を豪腕で勝ち進み、事実上の優勝戦といわれた強豪岡崎高校にも準々決勝でコールド勝ち。ところが甲子園出場を決めたも同然の準決勝で格下の一宮高校に思いがけなくも敗退を喫してしまう。四球と内野のエラーがきっかけで、頭に血がのぼって暴投。甲子園の夢は露と消え、金田少年はそのまま高校を中退してスワローズに入団したのであった。

綱島理友の古本野球史 第5回

 ●入手したい方は
  アマゾンで古書が入手可能。