巨人ファン、最後の砦の子供時代。
さよなら紅梅キャラメル
澤里昌与司著
1996年 東洋出版刊



 地上波テレビの読売ジャイアンツ戦の視聴率を支えているのが、年齢50代以降の人たちだといわれている。その中心となっているのは、いわゆる団塊の世代と言われている人たちだ。
 彼らの子供時代の思い出を綴ったのが、この本である。
 戦後すぐの1947年、東京の世田谷区松原に紅梅食品という会社が設立された。
 当初、この会社は炭鉱労働者向けのシロップ類などを製造していた。まだ食糧難の時代。経済統制で食品製造は政府の管理下におかれていた。
 ところが49年の11月にキャラメルなどの菓子類の統制が撤廃される。菓子業界はこれを境に自由競争の世界に突入した。そんな中で紅梅食品は紅梅キャラメルの販売を開始する。
 しかし自由化の過当競争の嵐の中で生き抜くためには、他の類似品との差別化を図る必要があった。
 そこで紅梅キャラメルは読売ジャイアンツの選手、監督のカードをおまけとしてつけることにした。
 戦後、国民的な娯楽としての地位を築き上げたプロ野球だったが、子供のファンを獲得するという意味では、このキャラメルの登場は大きかった。「野球は巨人、キャラメルは紅梅」のキャッチフレーズで販売を開始すると、このキャラメルは子供たちをたちまち虜にした。ただし子供たちの目的は、カードそのものではなく、カードを集めるともらえる景品だった。景品にはグローブやバット、そしてカメラなど、当時の子供たちの憧れの的が取り揃えられていたのである。その点が、カードを集めるコト自体が目的となっている現在のベースボールカードとは事情が大きく違う。
 しかし景品にたどりつくには、とにかくカードを集めなくてはならない。カードを集めは監督と九人の先発ラインナップをそろえるのが基本になっていたため、その過程で子供たちは選手の名前をおぼえていったのである。水原茂監督、川上哲治、千葉茂の両選手くらいまでは常識だったが、南村不可止、平井三郎、柏枝文治、広田順、内藤博文、小松原博喜などの選手はキャラメルのカードでその名前を知った子供も多かった。
 つまりキャラメルがファンを拡大するメディアの役割を果したのである。
 読売ジャイアンツの人気は、昭和40年代に新聞、テレビを徹底的に活用することで拡大していったといわれているが、言ってみればその基礎工事をしたのが、このキャラメルだったのだ。
 紅梅キャラメルが登場した時期のプロ野球界は2リーグ分立に揺れていた。しかしキャラメルのカードを集めていた子供たちにとっては、そんなコトはどうでもよかったようで、野球界の構造改革についての話はこの本にはいっさい出てこない。
「昭和20年代後半、『紅梅キャラメル』によって讀賣巨人軍びいきとなった少年たちには、大人になってからも讀賣巨人軍ファンとして操をたてているものが多い。これには後のО(王貞治)(長嶋茂雄)の登場もあり、他球団に気を奪われる暇がなかったということも手伝っているのだが、その実態は『雀百まで踊り忘れず』であり、『三つ子の魂百までも』であろう。」
 と、著者は書く。しかし今、そんな世代の気持ちはどうなのだろうと思ったりする。
 巨人ファン最後の砦と言われている紅梅キャラメル世代は、そろそろ定年退職を迎え老後の生活に入っている。
 当たり前に観ることの出来た巨人戦のテレビ中継は少しずつ姿を消し、人気では間違いなく阪神タイガースに逆転されてしまった。
 ひとつの時代の終焉。
 それはやっぱりさびしいことだ。

綱島理友の古本野球史 第21回

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